白い部屋で | 水面からめくりとった水びたしの月

白い部屋で

ベッドの上は黒っぽいカスだらけ
車椅子に乗せられて
風呂から父が戻ってきた
うつろな目 骨格だけの顔
突き出た白い鼻毛の束
十年以上の闘病生活

敷布の上のカスは
何種類もの薬をのんでいるせいで
パイ皮のようになって
剥がれ落ちた父の皮膚
父はこなごなのパイ皮のようになって
少しずつ減って
やがて消滅するのだと思った

やさしい人ですね
ひっかかないし
叫ばないし
看護士の手には
誰かのお父さんにひっかかれた
ま新しい傷跡

あんなに歳いってからの
子供だから
あまやかされて まあ
わがままだこと
いつも 物陰から
聞こえてきた言葉

父が喉にからんだ汚いものを
吐き出すときのかーっという音が
少女から娘になりかけの頃は大嫌いだった
「あっちでやってよ」

今 父はその力もなく
そいつに肺を占拠され
呼吸を止められて死にかけている
かーっ といって
思い切り かーっ といって
吐き出して
私たちの世界に戻ってきて

吐き出して 喉につまっている
反抗期の娘の名前を
吐き出して 蹴られて顔が汚れないように
長靴を磨いた 上官の名前を
吐き出して 絵空事の
大東亜共栄圏の地図を
吐き出して 餓えと彷徨を
雲の影のように神様の影が
大陸の大地をぬぐってとおりすぎる

お父さん 家に帰りたかね
子供部屋に運んでもらうために
こたつで眠ったふりをしていた
昔の私みたいに
お父さんは家に帰りたくて
死んだふりをしてるんでしょうが