水面からめくりとった水びたしの月 -5ページ目

帰れない小船と金色のじゅうたん

渋滞の国道で車窓から海を見ていた

また来るための会社から

また出てくるための家に帰る道で

人生から少しずつ遊離した人生の

空欄をカーステレオのCDの

直訳すれば土鍋になるアメリカのバンドが埋める

心を包んでどこかへ持っていこうとするので

それは明日も使うからとキーチェーンをあわててたぐり寄せる

頭をさげ キーを打ち レイアウトを考え

商品を並べるのは でく人形には無理だから


沖に波が作る銀色のタペストリーに

織り込まれて帰れない小船が一艘

不思議と気の毒だとは思わなかった

あの船にはきっと

クリムゾン・グローリーという名前の薔薇の苗木と

箱一杯の星くずがおがくずに包まれて

積まれているに違いない


のろのろと

そろそろ点きはじめたテールランプを見ながら

視界をさえぎる建築物を過ぎたら

海に金色のじゅうたんが敷かれていた

岸から始まって

今から遠い土地へ旅立つ熟した太陽へ

まっすぐに続いていた

名前も知らない木が並ぶ異国の並木道や

潮騒や 風の音や 極彩色の衣裳

人々が魂の名前で呼び合う国

あるいは雪をいただき 国境を超えてそびえる連山

星ヤケしそうな満点の星 三百六十度の地平線

みんな見せてあげるよ

じゅうたんをわたっておいでと声がする


明日ね

と私は答える


昨日一昨日一年前と同じに

明日あさって一年後と同じに

記念日

今日は、夢の中で17回目にご飯茶碗を食べた記念日です。

グッドスティングレイが死んだ

グッドスティングレイが死んだとき

私は 自分が死んだときよりも泣いた


私の左目が見る世界は昼

私の右目が見る世界は夜


境目で月光による

グッドスティングレイの火葬が行われている

グッドスティングレイは火の中で踊る

紺青の山稜のシルエットの向こう側

水色の夜空に翻る 帆布のように


私は右目を固く閉じて呼びかけ

左目を閉じて

グッドスティングレイの

死後硬直を遅らせようとする


グッドスティングレイは不思議そうに

冷たくなっていくかかとを見つめている


グッドスティングレイが死んだとき

私は 自分が死んだときよりも

ため息をついた


私の左目が見る世界は春

私の右目が見る世界は冬


境目で全身に風花をまとった

グッドスティングレイが しっぽで大地を叩いている

107回目の地響きとともに

トビウオが暴発したと伝令が届く


私は右目を固く閉じて

グッドスティグレイの凍結を防ごうとする

雪に覆われた連山の

氷結した岩に足を囚われ鳩がもがく


グッドスティングレイが死んだとき

私は 自分が死んだときよりも

深く眠った


私の右目が見る世界は過去

私の左目が見る世界は未来

境目で カテーテルが小惑星をつなぎとめる


私は両目を固く閉じて

シナプスの飛び交う音に耳を傾ける


羊歯と地衣に覆われた

段々畑が空まで続いていた

廃墟の折れた鉄骨は

空一面に垂れこめる桜色の雲を支えていた


海と空と大地しかなかった頃に

よく遊んだね グッドスティングレイ

今はまだ 微生物しかいないよ

今はもう  微生物しかいないよ 


グッドスティングレイの影が

山を一色暗くしてとおりすぎる

影の中は午前三時

影の周囲は正午


今はもういない

グッドスティングレイ


影だけがどこをどう遠回りしたのか

遅れてきて 山を越えてゆく



完全犯罪

犯罪が行われたと

誰にも気づかせないほど

完璧でもないなら

完全犯罪という言葉は

はじめから

成立しない

ペット

お母さん


散歩してたらついてきたの


うちで飼っていい?


ひとり

月を見ても ひとり

星を見ても ひとり

花を見ても ひとり


だけど

猫に変身したら

一匹 

月とにらめっこ

反対側の顔で


笑ってるでしょ


あんたの負けだよ



ж by ティンカー


人質カノン

ゼブラゾーンを歩いていれば
車が来ても止まってくれる

メルセデスでもポルシェでも


人質は毎日替わる
人質が人質であることに疲れて
死んでしまってはひとたまりもない


今日の人質さんは
人身御供として滝つぼに投げ入れられて
三回転半ひねりで着水し
満点を出したナジャさんです


なぜ 経帷子を着ているのですか?


幸せを試着したけど
似合わなかったのです


ゼブラゾーンを歩いていれば
何があっても大丈夫
嵐が来ても

そこだけ晴天


今日の人質さんは

村長さんです

村長さん 長い小道を

てくてく歩いてきてくださってありがとう


3時17分で止まった時計を見るたびに

私はいつも思うのですよ

この時計の右半分は止まっているけれども

左半分は動くのではないかとね


ゼブラゾーンを歩いていれば
何があっても大丈夫
13日の金曜日でも
ゼブラゾーンだけ
日曜の午後


今日の人質さんは

ジョン・レノンさんです

またこの世界に帰ってきますか?


話し言葉と書物と音符の中に

こんなにたくさん 僕がいるのにかい?

人間の姿をしているのは

とても肩が凝るのだよ

だけど もう死んでいる僕が

人質になってもいいの?


大丈夫ですよ

この詩の十五行目の半分くらいから

タイトルは人質カノンではなく

人質レノンになっていますから


ゼブラゾーンを歩いていれば
核戦争でも大丈夫

人類でただ一人の生き残り

そこから出さえしなければ

放射能も避けて通る


今日の人質は

不信心な猫さんです


逃がしてよ


だめです


なんで?


私は犯人たちに

時給三メモリーで見張りに雇われているのです

時給三メモリーって?

悲しい思い出十個を

手形割引して

楽しい思い出三個に

変えてくれるのです

何しろ悲しい思い出なら

蔵に納まりきれないほどありますから

その蔵は石積みなの

レンガなの それとも木造?

今のところ

言葉でできています

言葉でできた蔵

それはすばらしい

私も人質の見張りになりたい

難しいですね

なにしろ あなたは今のところ

人質ですから


ゼブラゾーンを歩いていれば

何があっても大丈夫

だけど誰かが黒板を
爪でひっかいたら
人類滅亡

命 

大陸で奪ってしまった たくさんの命
大陸から唯一つ持ち出せた 命
置いてきた戦友たちの命
それからは父にとって
重すぎる密輸品だった 命


今は等しく

この土地から離れて

脳梗塞で失っていた言葉も取り戻して

戦友たちと 飲んでいますか


俺だけがあの日本海を越えてしまったな

なんの あの時なんか体が重かっただろう

俺たちも一緒だったんだよと

笑いあいながら





言い伝え

誰も虹に端をつかめないわけじゃないんです

虹の端をつかんだはいいけど

手を放したらどこへ落ちるかわからなくて

帰ってこれないだけなんです