帰れない小船と金色のじゅうたん
渋滞の国道で車窓から海を見ていた
また来るための会社から
また出てくるための家に帰る道で
人生から少しずつ遊離した人生の
空欄をカーステレオのCDの
直訳すれば土鍋になるアメリカのバンドが埋める
心を包んでどこかへ持っていこうとするので
それは明日も使うからとキーチェーンをあわててたぐり寄せる
頭をさげ キーを打ち レイアウトを考え
商品を並べるのは でく人形には無理だから
沖に波が作る銀色のタペストリーに
織り込まれて帰れない小船が一艘
不思議と気の毒だとは思わなかった
あの船にはきっと
クリムゾン・グローリーという名前の薔薇の苗木と
箱一杯の星くずがおがくずに包まれて
積まれているに違いない
のろのろと
そろそろ点きはじめたテールランプを見ながら
視界をさえぎる建築物を過ぎたら
海に金色のじゅうたんが敷かれていた
岸から始まって
今から遠い土地へ旅立つ熟した太陽へ
まっすぐに続いていた
名前も知らない木が並ぶ異国の並木道や
潮騒や 風の音や 極彩色の衣裳
人々が魂の名前で呼び合う国
あるいは雪をいただき 国境を超えてそびえる連山
星ヤケしそうな満点の星 三百六十度の地平線
みんな見せてあげるよ
じゅうたんをわたっておいでと声がする
明日ね
と私は答える
昨日一昨日一年前と同じに
明日あさって一年後と同じに
グッドスティングレイが死んだ
グッドスティングレイが死んだとき
私は 自分が死んだときよりも泣いた
私の左目が見る世界は昼
私の右目が見る世界は夜
境目で月光による
グッドスティングレイの火葬が行われている
グッドスティングレイは火の中で踊る
紺青の山稜のシルエットの向こう側
水色の夜空に翻る 帆布のように
私は右目を固く閉じて呼びかけ
左目を閉じて
グッドスティングレイの
死後硬直を遅らせようとする
グッドスティングレイは不思議そうに
冷たくなっていくかかとを見つめている
グッドスティングレイが死んだとき
私は 自分が死んだときよりも
ため息をついた
私の左目が見る世界は春
私の右目が見る世界は冬
境目で全身に風花をまとった
グッドスティングレイが しっぽで大地を叩いている
107回目の地響きとともに
トビウオが暴発したと伝令が届く
私は右目を固く閉じて
グッドスティグレイの凍結を防ごうとする
雪に覆われた連山の
氷結した岩に足を囚われ鳩がもがく
グッドスティングレイが死んだとき
私は 自分が死んだときよりも
深く眠った
私の右目が見る世界は過去
私の左目が見る世界は未来
境目で カテーテルが小惑星をつなぎとめる
私は両目を固く閉じて
シナプスの飛び交う音に耳を傾ける
羊歯と地衣に覆われた
段々畑が空まで続いていた
廃墟の折れた鉄骨は
空一面に垂れこめる桜色の雲を支えていた
海と空と大地しかなかった頃に
よく遊んだね グッドスティングレイ
今はまだ 微生物しかいないよ
今はもう 微生物しかいないよ
グッドスティングレイの影が
山を一色暗くしてとおりすぎる
影の中は午前三時
影の周囲は正午
今はもういない
グッドスティングレイ
影だけがどこをどう遠回りしたのか
遅れてきて 山を越えてゆく
人質カノン
ゼブラゾーンを歩いていれば
車が来ても止まってくれる
メルセデスでもポルシェでも
人質は毎日替わる
人質が人質であることに疲れて
死んでしまってはひとたまりもない
今日の人質さんは
人身御供として滝つぼに投げ入れられて
三回転半ひねりで着水し
満点を出したナジャさんです
なぜ 経帷子を着ているのですか?
幸せを試着したけど
似合わなかったのです
ゼブラゾーンを歩いていれば
何があっても大丈夫
嵐が来ても
そこだけ晴天
今日の人質さんは
村長さんです
村長さん 長い小道を
てくてく歩いてきてくださってありがとう
3時17分で止まった時計を見るたびに
私はいつも思うのですよ
この時計の右半分は止まっているけれども
左半分は動くのではないかとね
ゼブラゾーンを歩いていれば
何があっても大丈夫
13日の金曜日でも
ゼブラゾーンだけ
日曜の午後
今日の人質さんは
ジョン・レノンさんです
またこの世界に帰ってきますか?
話し言葉と書物と音符の中に
こんなにたくさん 僕がいるのにかい?
人間の姿をしているのは
とても肩が凝るのだよ
だけど もう死んでいる僕が
人質になってもいいの?
大丈夫ですよ
この詩の十五行目の半分くらいから
タイトルは人質カノンではなく
人質レノンになっていますから
ゼブラゾーンを歩いていれば
核戦争でも大丈夫
人類でただ一人の生き残り
そこから出さえしなければ
放射能も避けて通る
今日の人質は
不信心な猫さんです
逃がしてよ
だめです
なんで?
私は犯人たちに
時給三メモリーで見張りに雇われているのです
時給三メモリーって?
悲しい思い出十個を
手形割引して
楽しい思い出三個に
変えてくれるのです
何しろ悲しい思い出なら
蔵に納まりきれないほどありますから
その蔵は石積みなの
レンガなの それとも木造?
今のところ
言葉でできています
言葉でできた蔵
それはすばらしい
私も人質の見張りになりたい
難しいですね
なにしろ あなたは今のところ
人質ですから
ゼブラゾーンを歩いていれば
何があっても大丈夫
だけど誰かが黒板を
爪でひっかいたら
人類滅亡
命
大陸で奪ってしまった たくさんの命
大陸から唯一つ持ち出せた 命
置いてきた戦友たちの命
それからは父にとって
重すぎる密輸品だった 命
今は等しく
この土地から離れて
脳梗塞で失っていた言葉も取り戻して
戦友たちと 飲んでいますか
俺だけがあの日本海を越えてしまったな
なんの あの時なんか体が重かっただろう
俺たちも一緒だったんだよと
笑いあいながら